Kamakura Lovers

鎌倉を愛する人は、とてもたくさんいます。その好きのカタチも、星の数ほど、人それぞれ。
ここではまず、鎌倉という地でホテルや旅館を経営されている支配人の方々の思いをお届けします。
読んでいただいて、鎌倉に泊まりにいこう、と思って頂けたら光栄です。

鎌倉の支配人シリーズは、この後もしばらく続く予定ですが、
取材してほしいという方のリクエストにもお応えしていきます。お気軽にご連絡ください。

ゲストハウス亀時間 代表
櫻井雅之さん









かいひん荘鎌倉 支配人
井上靖章さん

ホテルあじさい 代表
有井宏太郎さん

Hotel鎌倉mori 総支配人
押切英文さん

鎌倉パークホテル 支配人
石塚克利さん

小町荘 代表
鈴木文子さん

ゆったりとした時の流れの中で
人と人のコミュニケーションを

ゲストハウス亀時間 代表
櫻井雅之さん


━━━ゲストハウスを鎌倉に作ろうという思いのいきさつをお聞かせください。

  • 29歳の時に、世界一周を目指して旅立ちました。アジアを横断し、アフリカを縦断。旅の後半は移動する旅から滞在型に変わり、南アのケープタウンでカフェの共同経営などに参画したりしました。その後、立ち寄ったジンバブエでムビラという民族楽器に魅了されて、8か月間修行した後「よし、ムビラでやっていこう!」と帰国したのですが、実際、ムビラで生活していくには少々難しく…(笑)企業に就職しつつ自分にできることを模索していた頃に住み始めた逗子で、持続可能な町づくりに取り組む人々と出会いました。
  • ローカルコミュニティで、人のつながりや経済循環を重視する考えに、旅を経た後の自分が共鳴したのです。
  • それを未来への指針として、自分も地域に根ざした生活をしていきたいという気持ちが強くなりました。ジンバブエで出会ったムビラ
  • 自分に何ができるのかと過去を振り返ってみた時に、旅で利用したゲストハウスの存在を思い出しました。そこは人と出会い、つながり、知らない世界を知り、時にはお互いに助け合うというような、人生の勉強をさせてもらった特別な場所でした。
  • 日本にもそんな旅人が集う場所があったら楽しいだろうなと思ったと同時に、自分もそこに身を置くことで半分旅するような楽しさを感じられるかな、とも思ったんです。そんな過去の経験から、多くの観光客が訪れる鎌倉にゲストハウスを作ろうというアイデアが生まれました。



━━━ゲストハウス「亀時間」オープンまではどんな感じだったのでしょう?

  • 「よし、ゲストハウスだ!」と気持ちが高まっている時に、タイミング良く「ゲストハウスを鎌倉に作りたい」という思いの方と、街づくりの市民グループを通じて出会いました。
  • 人手も必要ですし、分からないことも沢山ありましたから、グループの仲間達に協力してもらいながらプロジェクトを進めていきました。持続可能な社会の実現には既にあるものを活かすことが大事ですから、古民家を再生してゲストハウスにしようと考えました。
  • やっと見つかったこの物件は、15年 放置されていたので使えるようにするには沢山の作業が必要でした。ところが、覚悟を決めて仕事を辞めたのに、改修計画がなかなかまとまらず、無職の状態で子供が生まれ、しまいには物件の屋根瓦が竜巻で飛んでしまい契約が翌年に延期されて・・・。
  • 気持ちは何度もへこんだり、盛り上がったりして激動の時期でした(笑) 。その後、8ヶ月の交渉が実ってようやく2011年2月契約となり、みんなの協力を得て改装作業を開始。
  • 掃除中に不発弾が出て警察沙汰になるなどのハプニングもありつつも、順調に進み始めたところで、3.11の震災でした・・・。
  • 期待していた外国人観光客も激減するような状況に、前途が怪しくなってきました。
  • でも、いままでお世話になった方々、一緒にやってきた仲間たちを思い出し、ここで頑張っていこうと再度決意を固め、何とか2011年4月にオープンしました。



━━━亀時間の名前の由来は、亀のようにゆっくり流れる時間、とお聞きしましたが…

  • そうです。ここに訪れた方には、亀のようにゆっくりと流れる時間を過ごしていただきたいのです。
  • 私が訪れた海外の国々に比べると、日本は時間の流れが速くコミュニケーションが疎かになりがちです。
  • ゆったりとした時の流れの中で人と人のコミュニケーションをする余裕を持てる場所であればいいなと思っています。
  • 時間を気にしなくてもいいように敢えて時計は置いていないんです。



━━━ゲストハウスに訪れる方はどんな方がいらっしゃいますか?

  • 日本の方と外国からの方と半々ぐらいです。
  • リピーターも国籍は様々で、日本人だけでなくスウェーデンから毎年桜を見にいらっしゃる女性4人組、マレーシア、オーストラリアからのご夫婦などもいらっしゃいます。
  • 変わったところでは、鎌倉生活のトライアルをしに来た若いご夫婦、プチ家出の女性などは、ここから通勤したりなさっていました。
  • みなさん、鎌倉らしい古民家での生活を楽しもうと来てくださるようです。不便であることで、かえって人とのつながりが濃くなっていくようにも思います。
  • 来たばかりの方が「我が家のように落ち着く」「気の通りがいい」と言ってくつろいで下さるのがとても嬉しいです。
  • 地域の方との交流もあれば、と考えて、週末にはカフェ、隔週の土曜夜はバーをオープンしています。



━━━好きな鎌倉はどんなところですか?

  • 鎌倉は知れば知るほどよいところですね。
  • 長い歴史の文化もあり、サーフカルチャーのような若者の文化もあり、
  • 古いものと新しいものが同時に存在しているところは世界的に見ても特別ですよね。
  • それと、美しい自然がすぐ近くにあるのが鎌倉の一番好きなところです。
  • 毎日同じ風景のようで少しずつ変化していますし、四季それぞれの美しさがあります。
  • お客さまにおすすめするのは、材木座海岸の朝と夕方散歩です。
  • 夏もいいですが、人の少なくなったこの季節の材木座散歩は贅沢ですね。



━━━これからの夢はありますか?

  • 今は、毎日のことでいっぱいであまり先の夢とかないのですが・・・。「まず3年。」と考えて一生懸命やってきたので、多くの仲間に支えられて3年続けてこられたことが嬉しいです。
  • そして、その仲間と一緒にこれからもここを大切に育てていきたいと考えています。

(聞き手 須加麻紀

取材を終えて

櫻井さんとお話ししていて感じるのは、とても時間を大切にして、慈しんで過ごそうと思っていらっしゃる方という印象でした。それは、ゆっくり、のんびり過ごす、ということだけでなく、丁寧に時を紡いでいく、というような、今の社会ではなかなか難しいことを目指していらっしゃるな、と。そして、人とのつながりをとても大切に思っていらっしゃる櫻井さんと周りの方々の丁寧な気持ちが古く眠っていた時間をゆっくりと動かして、おだやかな空間をつくりだしていると感じられるひとときでした。実は、ここに書かなかったとっておきのお話がまだまだあります。ご自分からはあまりおしゃべりなさらないとのことでしたので、「亀時間」の夜に、ぜひ聞きだしてくださいね。(例えば、「庭から出てきたもの」の話、とか、「飛ぶ鳳凰」の話、「材木座の夕日」の写真、とか。)

鎌倉には人を迎える文化が
あるみたいね。

小町荘 代表
鈴木文子さん


━━━ずっと鎌倉にお住まいですか。小町荘の誕生はいつでしょうか

  • 栃木から嫁いできました。24歳のとき。那須です。初めて鎌倉に来た時の印象?
  • もう覚えてないね(笑)。
  • 鎌倉で生きていくには何かをやっていかないと、そうお姑さんが言っていて、
  • それで中古の家を買って、旅館をね、始めました。とてもしっかりしたお姑さんだった。やり手。そういう時代ね。
  • 旅館の認可は、昭和40年の8月9日。もう40年もやってるね。建物も築100年!
  • さいきんはお客さんが来てくれた後、3日くらいボーッとしちゃうこともあるぐらい疲れてきたけど、
  • まだまだやっていかなきゃって。



━━━とてもお元気ですが、差し支えなければお生まれを教えてください

  • 10年。昭和10年生まれ。娘が手伝ってくれたり、孫が時々掃除の手伝いに来てくれる。近くに住んでるから、お小遣いほしさで(笑)。



━━━鎌倉で旅館を始めて40年、いちばんの楽しさは何でしょうか

  • いろんな人と会えたね。お友達いっぱいできて。福島とか青森とか群馬の人が多い。私がこんなんだから東北の人が多いのかなあ、かもしれないね。
  • 毎年のように家族で子ども連れてきてくれて。でも、地震のあとに来られなくなった人が多い。ピタっと。
  • お手紙もらって、近い方が亡くなったから今年は行けないって。東北には、旅行もままならない方が今も多いんです。
  • でも思い出はいっぱいでね、福島のお友達で、鎌倉住まいの娘さんにおみやげあげようと、
  • 地元福島の専門の人に頼んでタラの芽の一番採りをもって鎌倉の娘さんの所まで来たんだけど、肝心の娘さんと連絡とれなくて。
  • 小町荘に来てくれて、そのおみやげ、私もらっちゃった(笑)。
  • うちに泊まって、おしゃべりしてたら、あくる日娘さんが迎えに来たね。



━━━外国の方も多いと聞きましたが

  • あるガイドブックに小町荘が載っていて、しかもその本が空港にあって、それ見てきましたって人が多かったね。
  • 英語だめだから困るんだけど(笑)。どこの空港だろう。
  • あとはフランス人。昔鵠沼の女学校で先生してたフランス人が、国に帰ってから生徒さんに会いに日本に来て、うちに泊まってくれて。
  • 朝になると、女学生たちが先生を迎えにきて、夕方になると先生をここまで送ってきて。にぎやかだったね。 (白百合でしょうか) 白百合、かもしれないねえ。
  • 帰る時「フランスに帰ったら宣伝しときます」なんて言ってくれてさ、フランスのお客さんが多かったのも、その人のおかげかもしれないね。
  • 女の先生だったけど、あの、フランスの大統領に似てたね。うん、ミッテラン。(笑)
  • 最初フランスの人が訪ねてきたときは「あなた何語しゃべってんの?」なんて聞いちゃった。日本語で。
  • あとはカナダも。クチコミっていうんですか、世界中から若い人が来てるね。



━━━鎌倉でずっと旅館を営んできて、街のさまざまなご記憶があると思います

  • 昔このあたりでは、自分の家をお金持ちの人とか大企業のえらい人に夏のあいだ貸して、商売している人がいました。旅館じゃなくても。
  • 夏になると大きいお家では、見たこともない若い人がワサコンワサコン集まって。
  • 若い人が夏に鎌倉に集まる姿って昔も今も変わらない。
  • そういうお客さんのお世話をしてた人がけっこういました。
  • 鎌倉って、なにかこう、人を迎える文化があるみたい。みな働いてた。ぼーっとしてないで。



━━━鈴木さんにとって、小町荘は?

  • 人間を勉強したね、旅館やってきて。亡くなってしまった友達もいるけど、長谷の対僊閣※(たいせんかく)さんと仲良しで。
  • 会えば「どうしてる?」「やってるよ〜」って。
  • 90までやれるかななんて言って、おたがい張りあいながら。生きてるうちはやっていこうと思ってます。
  • 東北からの方がまた来られるようになったらうれしいし、新しいお客さんも呼んで生きていかないと私も。
  • いろんな人に会って、人に話を聞いて、いろいろ教わった。これからも同じこと。

(聞き手 山本邦晶
※対僊閣は、長谷にある老舗旅館です。

取材を終えて

鈴木さんのお話を聞きながら思わず時間を忘れてしまいました。予約のベストタイムはお昼頃。電話は17時頃までがいいねとおっしゃいます。ふいに泊まりたくなったとき電話をもらって空いてたら泊めてあげるから、とニコニコと。鶴ケ丘会館の裏手、小町荘と記された看板を目印に。お部屋は5つ。おひとりでもOK。4人ぐらいまでの小グループの滞在にぴったりだと思います。たとえば3人組の女子会、いつしかお母さんを交えてのおしゃべり会になりそうな気がします。外国の若者たちに隠れた人気を誇る小町荘。人懐っこくてやさしい、お母さんみたいな鈴木さんがきりもりしています。

地域の方々に支えられて、
いまがある。


鎌倉パークホテル 支配人
石塚克利さん


━━━ホテルのこれまでの歩みを教えていただけますか

  • オープンは昭和50年で、平成7年に全面リニューアルしました。オーナーの強いこだわりで、調度品も内装もイタリアからデザイナーを招いて設計しました。
  • 昔からのお客様の間では、旧ホテルのプールに思い入れがある方もいらして、子どもの時に来ましたとか懐かしいお話をうかがうこともあります。
  • 実はホテルが建つ前、ここには水族館があったそうですよ。



━━━ホテルマンの道を選ばれたきっかけは、何だったのでしょうか

  • 本当は料理人になりたかったんです。料理人のかっこよさに憧れ、学生時代は飲食のアルバイトをやり、いつかは自分の店を構えたいと思っていました。
  • それでまずは半蔵門にあるホテルに入ったんですが、上司に「君は接客をやりなさい」と。「調理に空きが出たらできるから」とも言われて、1年がたち、2年がたち、3年がたち。でも、接客をやっているうちにマネージメントの道もおもしろいなと思い始めたわけです。
  • そして縁あって、パークホテルに。転職と同時に引っ越しもして、鎌倉住まいも13年。
  • 自然が豊かで治安もよく、人と人のあり方もぬくもりがあって。本当にいい街だなあと思いますね。



━━━石塚さんにとってホテルマンの喜びとは何でしょうか

  • ホテルではお客様の評価がじかに返ってきます。喜ばれることをすればうれしい言葉をかけていただける。名前で呼んでいただけたり、あなたがいて助かったとか良かったとか。半蔵門のホテルにいた時に私を覚えてくださったお客様が、私を頼りにまたこちらに来てくださることも。とてもうれしいですね。
  • 一方、ご期待に沿えなかった場合はすぐにお叱りをうけます。お客様のご指摘は本当にホテルマンの糧になります。
  • 小学生の修学旅行にもご利用いただいていますが、多くは栃木から。鎌倉が日光で、栃木は鎌倉。面白いですね。
  • 先生じゃないので、残さず食べなさいなんて言えませんが、さりげなくテーブルマナーをお教えしたりしています。子どもたちは素朴で見ていてかわいい。癒されますね。



━━━支配人としてのこだわりのひとつを教えていただけますか

  • お客様は何もしないでいい、というホテルの姿のために何ができるか、何をすべきかを常に考えています。お客様にとっては、従業員はみなホテルマン。
  • ですから、誰に聞いてもなんでもお答えできるように、うちのホテルでは1人4役が基本。フロントしかやりませんではなく、宴会も、レストランも、お部屋のことも。
  • 当たり前のことをやるだけですが、そのクオリティを追求できるちょうどいい規模のホテルだと思っています。



━━━地元の食材を使われているとうかがいましたが

  • うちの会社は横須賀で創業した飲食が軸です。地産地消を謳い、鎌倉の食材、三浦半島の食材をふんだんに使ったコース料理をお作りしています。
  • ぜひとも1泊2食を楽しんでいただきたいですね。調理には手間ひまかけて、絶対に手をぬかない。
  • 大変ですけど、料理に使うソースひとつをとっても既製品ではなく、手作りを心がけています。



━━━鎌倉のホテルとして大切にしていきたいことは何でしょうか

  • 地域の方々との密接なつながりですね。
  • 震災直後、お客様の姿がぱったりとなくなって、計画停電で電気も思うようにならない。もうだめかなと思っていたそんな時、地元のお客様から食事できますかというご連絡を何件かいただいた。どうぞどうぞぜひいらしてください、と。あのときですね。地域の方々に支えられているんだという、ともすれば忘れがちな思いにハッとさせられたのは。
  • 本当に嬉しくて、夜はバッテリーを仕入れてきて自家発電して営業しました。
  • 毎月第一日曜日、ホテルの駐車場で鎌倉漁業協同組合さんの朝市をやっているんですが、これも震災後、漁協さんとのお話がきっかけのイベントなんです。
  • 鎌倉野菜さんや地元のお店の方も参加いただいて、思った以上に大反響で続いています。



━━━宿泊されるお客様への、いちばんのおすすめは何ですか

  • 夕方、稲村ケ崎まで散歩していただいて、夕陽。あれ、最高! 
  • あと、皆様おっしゃいますけど、鎌倉はやっぱり裏路地。いまは意外と表みたいに賑わって、裏じゃなくなっちゃったりしていますけどね。

(聞き手 山本邦晶

取材を終えて

スタイリッシュなジェントルマン。それでいて料理人をめざした職人気質の一面もあって「さまざまなお客様に出会うために、常に切磋琢磨すること」が信条の石塚さん。ホテルマン生活の中での面白すぎるエピソードもたくさん頂きましたがユニークすぎて書きづらい…。鎌倉パークホテルは、由比ケ浜を一望する最高の立地。身も心も真っ赤に染まる稲村ケ崎の夕陽とおいしいディナーを、ぜひおすすめします。

鎌倉には鎌倉の、
ホテルのありかたがある。


Hotel鎌倉mori・総支配人
押切英文さん


━━━Hotel鎌倉moriの誕生は、いつでしょうか

  • Hotel鎌倉moriができたのは、1996年の12月です。いまのビルに建てかえるとき、3階と4階にホテルを開こうと思い立ったのが、叔父と私です。
  • 鎌倉にずっとお住まいの方は、ご存知でしょうけれど、このビルができる前は、山下食堂(山下飯店の前身)はじめ、おみやげもの屋さん、本屋さん、お花屋さん、それこそいろんなお店が入っていて長屋のような、生活感のある鎌倉の下町というような風情もありましたね。そんな話をすると懐かしいって方も多いみたいで…。
  • 遡れば、駅前にはデパートもあったそうですし、このあたりもずいぶんと様変わりしました。



━━━どんなホテルをめざして、スタートされたのでしょうか

  • もともとが中華料理の山下飯店ですから、当初は食事を中心に考えていました。宿泊施設がついているレストラン!
  • 中華ですが、オーベルジュって私は呼んでます。(笑)
  • ただ、ホテルに関してはまったくの初めて。従業員に実際のホテルに研修に行ってもらったりして、いちから学びながらやってきました。
  • そうした中、お客様の声に耳を傾けることが、いつしか、このホテルの芯になってきた感はありますね。お客様との会話をたいせつにするホテル。



━━━鎌倉でホテルを営む“特別な思い”とは、何でしょうか?

  • 鎌倉という場所でなければ、マニュアル通りだったかもしれません。フロントでゆっくりお話もできない。
  • でも、都市や一般の観光地にありがちな大型ホテルとは違いこぢんまりとした鎌倉のホテルは最初から違うんですね。
  • 直接、お話できる時間がいっぱいあって、それが泊まっていただく居心地や楽しさにつながることがあると思います。親近感というのかな。
  • そして幸いなことに、また来ますとおっしゃって、来てくださる方が多いんです。
  • 私もお話を聞くのが大好きですから、24時間、365日仕事を楽しませていただいています。



━━━とても思い入れのあるメンバーズクラブがあるとうかがいましたが

  • 一度は泊まってくださった方で、当ホテルをもしも気に入ってくださったのなら、よろしければ入ってくださいというメンバーズクラブで、特典をご用意させていただいています。とくに勧誘はしていないんですが、17年続けてきて時間はかかりましたけど、いまや900名を超える方にご登録いただいています。
  • ホテルの風合いやポリシーは変えずに、でも、いつ来ても同じだと飽きられないように、少しずつ新鮮味を加えていきたい。
  • そのバランスが難しいんですけど「また来ていただきたい」の一心で、学びながら楽しく。会員様からちょうだいするご意見や何気ないアドバイスは、私たちの財産です。



━━━鎌倉に泊まってくださる方に、どんな過ごし方をおすすめしますか

  • 私はもともと鎌倉生まれじゃないんです。ここで商売をしていた叔父に声をかけられ、生まれ育った山形から、家族と一緒にサラリーマンをやめて鎌倉にやってきました。
  • まったく抵抗なかったですね。都会に憧れるじゃないですけど、鎌倉ドリーム!
  • 30半ばで飛び込んだ鎌倉は、田舎の人間が来てもパッと入れる雰囲気がありました。大船のほうの小袋谷なんですが、安心するというか、居心地がよくて。「田舎にもこんな街あるよ、言葉が違うだけ」と思ってましたから。いまでは笑い話ですが、最初、大船市だと思っていたんです。(笑)
  • 鎌倉って、ちまたで言われているよりも、外からの人間がすっととけ込めるところがある。懐が深いんですよ。
  • 鎌倉には四季折々の美しさがあって、季節ごとの体験をしていただくのがいちばんのおすすめですけれど、私自身、山形から来て出会った方々に支えられてきたように、この地の人たちとの出会いも思う存分楽しんでいただきたい。
  • 日々テレビや雑誌で紹介されているけれども、鎌倉という名前にあぐらをかくことなく、鎌倉自身も来てくださる方の期待に応えるおもてなしの努力をし続けていかなければと思います。
  • 「ああ、この街の常連だ」っていうふうに思ってもらいたい。
  • 来てくださったお客様に、また泊まりに来ていただきたい、の一心です。

(聞き手 村田望

取材を終えて

よほどのお人好き(おひとずき)!? はたまた人の喜ぶカオが見たくての一念か。サービスは「お客様本意」と言い切る押切さん。ユーモアを交えながらのお話しぶりに温かなお人柄が滲み出る。常に「お客様がどうしたいのか」その声に耳を傾け「あとを引くおもてなし」をしたい、とおっしゃいます。「鎌倉にまた来たい」のきっかけに、ホテルがなれたらいいね、と一言。あ~なんとも頼もしい!
Hotel鎌倉moriは、鎌倉駅東口から歩いてすぐ。ぜひ一度訪ねてみては、とお勧めします。

お菓子とホテル
どちらも追いかけて紅谷


ホテルあじさい代表・株式会社紅谷 代表取締役 有井宏太郎さん


━━━お菓子作りの紅谷さんがホテルを始めたきっかけは、何だったのでしょうか

  • 紅谷がホテルを始めたのは、20年前くらい。父が社長だった頃です。
  • お菓子作りのノウハウはあっても、ホテルあじさいはゼロからのスタート。予約もベッドメイキングもお食事も、当初は紅谷の社員の手を借りずに、ほぼ家族で対応していました。そんないちばん大変だったとき、僕はまだ学生でイギリスに留学していたので、母や姉には今も頭があがりません(笑)。
  • 大変だとわかっていても、それでもこうしてホテルを続けてきたのは、父の思いが大きかったと思います。
  • 父はもともと、お菓子職人。職人を育て、手作りにこだわり、お菓子がつくる人と人のご縁を大切にしてきた。なによりも、父は人が好きでした。お客様とのふれあいの中で、サービス業の最たる形としてホテル経営の喜びをふくらませていきたい、そんな思いがあったのだろうと思います。もちろん、鎌倉という環境が好きで好きで、大のKamaura Loverなんだと思います。まあ、その地元愛は僕も負けていませんけど。



━━━紅谷にとって、ホテルとは? 去年、リニューアルした理由を教えてください。

  • 7年前に父から紅谷を引き継ぐ形で、ホテルあじさいも引き継ぎました。経営者として、まだまだ若造。やりながら、学びながら、全力疾走。本業のお菓子に集中するべきだと思ったこともありましたけれど、最近になってようやく、社長としてもいろいろ見えてきたからかな、お菓子作りとホテル業がべつべつのものではなく、一つになって見えてきた…。お菓子で学ばせていただいたことをホテルに生かす。ホテルで学んだことを今度はお菓子に生かす。紅谷には「縁(えにし)」を重んじる考え方があります。お菓子作りもホテルも、根底ではつながっていると思えるようになってきた。どちらも、一生懸命にやって紅谷なんです。
  • 鎌倉という場所はとても恵まれていて、このロケーションに頼ってしまう傾向があります。ホテルあじさいも八幡様の目の前という恵まれすぎと言えるほどの好立地。この立地に甘んじてはいけないといつしか思っていました。鎌倉に宿泊してくださる方なら、お寺を廻られてきっとたくさん歩かれる。くたくたになる。そう考えた時、ホテルあじさいはきちんとお客様をお迎えできているのだろうかと。それが、客室をリニューアルしたきっかけです。
  • 寝具や居心地にとことんこだわって、色調やベッドの配置、照明、すべてのデザインを考え直しました。海外のコーディネーターの方から「正直、前は良くなかったんだけど、今はいいね」という言葉も頂いて。よく泊まってくださる方から居心地がよくなったというお手紙も頂きました。なにが正解かわからないけれども、ホテル業も突っ走っていきたいと思います。



━━━鎌倉に一泊してくださる方に、おすすめの過ごし方はありますか。

  • ときどき僕も歩きますが、やはり鎌倉は裏道! 目的地までの道のりを楽しんでいただきたいなと思うんです。鎌倉は変わる景色と変わらない景色がある素敵な場所。八幡様の舞殿でライブをやるなんて、昔は考えられなかったんですから。若い世代である自分たちが、もっともっと鎌倉に泊まっていただく工夫をしていかなきゃ。鎌倉のみなさんとも力を合わせていきたいと思っています。

(聞き手 山本邦晶)

取材を終えて

鎌倉の路地や裏道を散歩するのが好きで「Back street boysですから!」と語る有井さん。紅谷とホテルあじさいを率いてなお飽き足らず、大の音楽ファンとして自分のバンドも率いているそう。そんな常に動き続けるエネルギーが伝わってきました。ホテルあじさいは、八幡様に向かって段葛の右手。去年新しくなった客室から見下ろす鎌倉の町並みは、ぜひ一度おすすめします。

かいひん荘で育った
やんちゃ少年


かいひん荘鎌倉支配人 井上靖章さん


━━━かいひん荘で育ったって、本当ですか。

  • 叔父と叔母が始めたこのかいひん荘を子どもの頃から見てきました。母がここで働いていましたから、小学校の帰りはかいひん荘に帰ってくることが多かったわけです。庭を自転車で走り回ったり、野球したり、木にのぼったり、それで怒られたり。
  • 夏は長逗留される方も多くて、いつしか自分と同世代のお客さまの子と仲良くなっていっしょに海水浴に行ったりしていました。高校生になると友達を誘ってここでバイトをしました。いま思えば、物心ついたころからかいひん荘で過ごし、ここで育ってきたと言ってもいいかもしれません。私の思い出はここにたくさんつまっているんです。
  • 大学を卒業し、横浜のホテルに約15年勤務し、2003年にかいひん荘に来ました。故郷に戻ってきたような思いですね。今も大女将を務める叔母とともに、以来、支配人としてお客様をお迎えしてきました。



━━━どんなお客様が多いのでしょうか。

  • いろいろなお客様がいらっしゃいますが、女性のグループが圧倒的に多くいらっしゃいます。意外と多いのが、お母様と娘さんのおふたり。何かの節目に娘さんがプレゼントされるのでしょうか。お部屋に入ったまま過ごされていることが多いですね。ずっとおしゃべりなさっているのだろうなあと思います。



━━━旅館というスタイルをずっと貫かれていますが。

  • 旅館ですから、お部屋に料理をお出しするお部屋食というスタイルを満喫いただければという気持ちがありますけれども、お客様の食のあり方も趣向も時代とともに変わってきたのも事実です。美味しいお店も増えてきましたし、せっかく鎌倉に来てくださる方の楽しみ方の選択肢が増えるようにと私たちも御対応しています。

━━━鎌倉に一泊してくださる方に、どんな過ごし方をおすすめしますか。

  • こんなにお昼間は人がいるのに夜になるとすーっと引いていく。
  • くやしいという思いはずっとありましたね。やはり、夕方から陽が沈んでいく時間の海の美しさは言葉にできないものがあります。
  • 横須賀線で鎌倉駅に降りたつとどれだけ長く暮らしていても時間がゆっくりと流れていると感じることがあります。鎌倉らしい路地裏もそうですね。ぜひ鎌倉へは車ではなく、歩いての観光をおすすめしたいです。

━━━支配人として、一番の幸福を教えてください。

  • お客様が帰られる時が、実はいちばん楽しみな瞬間でもあるんです。一言おっしゃってくださる方がいるんですね。おいしかったよとか、ゆっくりできました、とか。言葉に出ない方もいらっしゃいますが、お顔には出ますね。こうした仕事をしていると、何かしらクレームがあるものと覚悟はしているのですが、帰られる瞬間はその真相を推し量ることのできる貴重な時間なんです。自分たちの仕事に対して、シロクロつけていただく。フィードバックの瞬間なんです。
  • 創業が昭和27年ですから、何十年も前に家族と来ました。なんて教えてくださるお客様に出会えることもあります。とても嬉しくなります。
  • 支配人になってまだ10年ですが、こういうかいひん荘でやっていこうと私なりに心に決めて今があります。「お客様のお邪魔にならないように気遣う」。そして「目の前のお客様を大切にする」。叔母の教えを守りながら、あまり背伸びをせず、この鎌倉という風土で、地に足をつけてやっていきたいと思っているんです。

(聞き手 山本邦晶)

取材を終えて

鎌倉でのひとときを楽しみにやって来られるお客様を陰からお支えしたいと控えめなお言葉の中にも、井上さんのたしかな自信と美学がありました。お言葉に甘えて、お部屋をのぞかせていただきましたが、まさに納得。ずっと住んでる鎌倉にこんな空間があったなんて…という感じでした。かいひん荘鎌倉は、江の電由比ケ浜駅から歩いてすぐ。最近はおいしいお店もたくさんあって、とおっしゃいますが、ご謙遜で畳の上で頂くお部屋食は最高の贅沢かもしれません。